我的中文學習日記

個人記録用の、ゆる〜い中国語学習記です。

辞めた今、思うこと。

こんにちは、お久しぶりです、程亮亮です。

 


昨年4月より始めたアルバイトを、1月31日付で辞めました。

ついに。

 


元々ワーキングホリデーに行きたいと思っていた2021年。

以前働いていた塾を辞めてから台湾に行くまでの期間の凌ぎと思って始めたのがきっかけで、台湾人による会社でアルバイトを始めました。

「中国語で仕事できるなんてラッキー」と思っていたはずが、蓋を開けたらとんでもない会社でした。

 


全部列挙していたらいくら文字があっても足りないのですが、


・お金のためなら手段を選ばない、そのくせ「私は利益を1番優先したことはない」などと言う

・送料を超高く設定するくせに、自分が商品を買うときは送料無料にならないと私に強引に交渉させる

・バレたら捕まるんじゃないかというくらい、限りなく黒に近いグレーゾーンでの仕事が多い

・日本の文化に合わせる気がなく、お客様からの合理的なクレームにも口答え

・中国や台湾の企業との値段交渉も暴力的

・「薬局に行って○○を安く大量に売ってくれないか交渉しろ」など、普通に考えたら無理すぎる要求が多い

・社長が日本語も日本社会のルールも全く分からないのに会社を開いてしまったため、普通スタッフにやらせないようなこと(社会保険手続きとか)も全て外国人スタッフ任せ(区役所にも「外国人にやらせるものじゃない」と怒られた)

・会社のことではなく社長個人のこと(国民年金手続き、自家用車の修理の予約、ご家族のビザ申請手続きの補助など)まで、私たちスタッフの仕事

・以上の内容で、交通費すら全額支給されない(※アルバイトの場合。毎月5000〜6000円は自分で払ってました)


もし、ここが台湾なら、私も「台湾はこういうもの」「台湾ならこのやり方でも仕方ない」と、良くも悪くも開き直っていたと思います。交通費も台湾では支給されないのが普通ですしね。

でも、日本で会社を開き、台湾の顧客には鼻高々「我們是日本公司~」なんて言ってるくせに、「入境隨俗」も守らないのはどうなのでしょう。


家族からも台湾の友人からも「早く辞めな」と言われていたのですが、辞めませんでした。

台湾式でゆるいところもあった(例えば電車の遅延には寛容)のも理由の一つですが、最大の理由は、履歴書に傷をつけたくなかったという、自己中心的なものです。

ただでさえ新卒で入った会社を2年で辞めているのに、ここで数ヶ月で辞めたら、いつかの転職の時に苦労する。

そう思って、せめて1年くらいは頑張ろうと思い、続けてきました。

 


1年前と今の私の心境の大きな変化として、「別に台湾にこだわらなくてもいいのかな」という思いが芽生えたことです。


塾勤務時代は、毎日好きじゃないことをするのが苦痛で、「絶対に台湾に行く!」と誓っていました。

でも今は「絶対台湾に行く!」とまでは思っていない、というのが正直なところです。


というのも、この会社に勤めて、日本の良さに改めて気付いたからです。

 


私個人が感じた1番の日本の良さは、労働者を守る仕組み(法律)がしっかりしていることだと思います。

いくら横暴な社長も、法律には抗えません。ましてや日本語もできない外国人ですから、何かやらかしたら一発帰国です。


例えば、解雇。

台湾だと「明日から来なくていいから」と急に言われることもあるみたいですが、日本ではそれはアウトですよね。

ちゃんと30日前に通知するか、もしくは30日分(1ヶ月分だったかな)の給与を解雇金として支払う必要があります。

(うちの会社、色々ありすぎて、少し日本の法律に詳しくなりました。笑)


社長が暴走しそうな時も、「日本の法律でそれは禁止されている」といえば、さすがに止められました。

 


もし、私が台湾に行ったら、こういう社長の元で働くことになって、日本ではあり得ない不利益を被ることもあるかもしれない。


解雇は少し大袈裟な例かもしれませんが、色々考えると、「日本で暮らすのも悪くないな」と思いました。


また、以前は「日本が大好きな台湾人が多くて嬉しい」と純粋に思っていましたが、今はそれすら、「もう勘弁してくれ」と思うことがあります。(台湾の方、すみません…)

うちの社長は、他の台湾人が日本のものを転売して儲けているのを見て、「他人が仕入れられるんなら私たちにもできるはずなの、分かる?」「だからメーカーに連絡して交渉して、でも台湾に売るとは言わないで」と何度も言われましたが、正直分かりませんでした。

純粋に日本が好きな方もたくさんいるのに、それに漬け込んで、怪しい方法で儲けている人が大勢いることを改めて知ってとてもショックでしたし、そういう輩が出てくるほど、日本のものにこだわる台湾人の多さにも、仕事のストレスが溜まってる時は「日本なんか好きにならないでくれ」と思ってしまいました。仕事の大半が「台湾の客から日本の○○が欲しいって言われたから、1番安く買える方法を探せ、メーカーとも交渉しろ、でも台湾に売ることは言うな」という社長からの無理難題でしたし、心が荒んでました。。


「無理なものは無理」が通じない社長は、正直台湾人や中国人の取引先も敵に回してたので、色々と社長個人の問題だとは思いますが。


そんなこんなで、今は「日本でご縁があれば日本で働き続けるのも全然ありだなぁ」と思っています。

 


「あんなに大口叩いてたくせに、お前の意志はそんなもんなのか」と思われる方もいるかなと思います。

そんなもんだったんだと思います。勢いのまま台湾に行く前に気づけて良かったです。

 


台湾の親友には、「亮亮がこの会社で働いてから台湾が嫌いになっちゃうんじゃないかと思った」と言われました。

でも、それはありません。台湾はやはり大好きです。今すぐにでも台湾に遊びに行きたいです。

 


ただ、「好き」だけで全ての現実を受け止めるのは、私には無理でした。


この10ヶ月で、心身ともに一回り成長できていたら嬉しいです。

 


ちなみに、私は私なりにこの会社にたくさん貢献してきたつもりなのに、色々あって今月半分以上1人で勤務していて、誰からも見送られず最終日を迎えました。

労いの言葉をいただけると、泣いて喜びます。笑

 


ここまで読んでいただきありがとうございました。