我的中文學習日記

個人記録用の、ゆる〜い中国語学習記です。

初の衝撃〜台湾語学研修

こんにちは。程亮亮です。

今回は、いや、今回こそ、台湾師範大学への語学研修の話をします。

 

※かなり長くなります。お時間ない方向けに要約すると、つまるところ「楽しかった」、それだけです。。

 

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↑当時の教科書

 

初日の夜は師範大の先生たちが歓迎会を開いてくださるということで、師範大のすぐ近くのレストランへ。

この時、これまでの中国語学習で味わったことのない大きな衝撃を受けました。

 

「メニューが全然読めない…!!」

 

大学の授業は、一応1年生の4月に掲げた目標を無事達成できたくらいにはしっかり勉強していて

教科書の単語や文法は全部覚えていたし、

NHKラジオ講座も毎日聞いてたし、

参考書も全ページ何度も読んでたのに、

「豚肉」「トマト」「たまご」「アイスクリーム」といった、普段の生活で絶対使う単語から全く分からない。

それが大ショックでした。

 

「今までの勉強ってなんだったんだろう…?」

 

その夜は先生方がジェスチャーを交えながらメニューを説明してくださったのでなんとかなりましたが…

 

「こんな簡単な単語も分からないなんて、

私の中国語、相当やばいな?!」

 

その数日後、同じ班の先輩たちと一緒にすぐ在台日本人向けの中国語の単語帳を買いに行き、その後は留学中毎日その本を持ち歩いてました。

でもむしろ、その衝撃が、「台湾で中国語をちゃんと勉強しないと!」というモチベーションに繋がったかと思います。

 

(ちなみに留学中はその本が大活躍。

初めてその本を見ながら台湾人に使った単語は「(我要)買單」です。

これは今でもはっきり覚えてる。)

 

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↑台湾華語勉強されてる方ならご存知かもしれません。

 

 

また、授業を受けたり現地の人と話したりする中で、もう1つ衝撃だったこと。

それは、今まで授業で習った中国語が台湾では全然使われてないことです。

 

留学2、3日目の朝、ルームメイトの子と寮を歩いてたら警備員のおじさんとすれ違ったので、良かれと思って2人で元気に挨拶しました。

 

「早上好!」

 

しかし、そのおじさんは何も言わずに、

目を大きく見開いて訝しげな顔で私たちをジロリと見ながら去っていきました。

 

私たちはその時は「なんでだろうね?」とお互いに顔を見合わせましたが…

後から、台湾では「早安!」を使うということを知りました。

 

台湾が繁体字というのは知っていたけれど、まさか挨拶から違うなんて…

 

「今までの勉強ってなんだったんだろう…?」(2回目)

 

「早上好」は「早安

「往右拐」は「右轉」

「堵车」は「塞車」……などなど。

 

戸惑いの中、慣れない繁体字と台湾華語に苦戦し、そして毎日授業や郊外学習などてんこ盛りで忙しかったため、1日1日があっという間に過ぎ去っていきました。

気がつけば夜ベッドにごろんとなっていて、「あ、また1日終わったんだ」と実感する毎日。

 

 

そんな語学研修では、ここに書ききれないくらい得たものがたくさんありました。

 

 

1番大きな収穫は、

「黙り込むのが1番ダメ。

通じなくても間違っても、とにかく中国語で話してみよう」

という意識がついたことです。

 

大学院生の先生方はもちろん日本語が分からないので、授業も雑談も全部中国語でした。

先生とコミュニケーションを取ろうと思ったら、中国語を使うしかありません。

 

その当時は、中国語学習歴が1年にも満たないレベル。

大学の授業でも、ネイティブと会話する機会が全くなかったので、毎日意思疎通を取るのにとにかく必死でした。

 

先生方はもちろんプロなので、私たちが分かるような言葉だけを使って超ゆっくりスピードで話してくれるため、何を言っているのかは大体分かります。

でも、こちらの意思を伝えるには、こちらが頑張るしかありません。

 

今でもよく覚えている会話。

 

ある先生が、私と先輩に、

「日本の京都行ったことあるよ!セブンイレブンとかファミマとか、コンビニの看板の色が台湾と違ってびっくりした、日本は違うんだね」

と話してくれました。

 

(違う…台湾と日本が違うんじゃない…

京都はあの街の景観を損なわないように

あえて地味な色にしてるだけなんだよな…

 

自分の中国語力が足りないからって、

このまま適当に笑って流してしまったら、

この先生は勘違いしたままになってしまうかも…)

 

そう思った私は、電子辞書片手に分からない単語をその場で一つひとつ調べ、京都とそのほかのコンビニの看板の写真も一緒に見せながら、なんとか京都のコンビニ看板事情を伝えました。

 

すると、先生は笑顔で

「そうだったんだ!!教えてくれてありがとう!」

と言ってくれました。

 

先生が喜んでくれたこと、

こうやって異文化交流ができたこと、

自分の拙い中国語でもちゃんと伝えられたこと、

 

それが心から嬉しくて、この時強く

「中国語を話せるようになりたい!

もっとたくさんの人と交流できるようになりたい!!」

と思いました。

 

 

また、短期留学中に出会った人々、街並み、食べ物、言葉、全てのものが私にとって特別で、すっかり台湾が大好きになりました。

 

特に「人」。

 

留学2日目、班の皆で食べに行ったお店でメニューや頼み方が分からずにいたら、英語ができるお客さんが全部英語でニコニコ説明してくれた。

 

乗るバスが分からずに「○○に行きたいんですが…」と聞いたら、「私ちょうどその方向のバスに乗るから着いてきて!」と道案内してくれた。

 

夜市で買い物したとき、「我要買這個」と言っただけで「中国語分かるの?!」とハイテンションになって、「これからもっと進歩すると良いわね」なんて言葉までかけてくれた……

 

見知らぬ台湾人が、日本人の私たちにこんなに優しくしてくれました。

もちろん私は運も良かったのだと思いますが、東京育ちの身からすると、こんなに人が親切にしてくれるのが新鮮でした。

 

 

最終日。後ろ髪を引かれながら、

「日本に帰ってからも、絶対本気で中国語を勉強する!そしてまた台湾に来たい!」

という決意とともに帰国しました。

 

 

この経験がなければ、おそらくこんなに中国語を勉強していなかったし、台湾を大好きになることもなかったかもしれないし、今周りにいる台湾人の友達とも出会ってなかったし…

 

そう考えると、あの時の語学研修が私の人生を変えてくれたな、と思います。

 

また、耳にたこができるほどいろんな場面で言われることではありますが、

「何事もやりたいと思ったらチャレンジして、後悔しないように生きよう」

と思うようにもなりました。

 

そしてここから先は中国語とあまり関係ない思い出話ですが、、

 

台湾研修がこんなに楽しかったのは、同じ班になったメンバーのおかげでもあります。

全6班中、1番仲良い班だったと思います(ルームメイトにもよくそう言われました笑)。

 

たまたま同じになっただけなのに、なぜか本当に仲良くなって、留学中はほぼ毎晩先輩の部屋で一緒に飲んでました。笑

(大学生って若くていいですね。。)

 

メンバーも超個性豊かです。

 

マジックがプロ級で、実際レストランなどのアルバイトでその腕前を披露しているという先輩とか

 

彼女の束縛がめっちゃ厳しくて、毎日自撮り写真を彼女に送るルールで、でもちゃんと毎日欠かさずLINEして、彼女へのお土産もたっぷり買っていた先輩とか

 

国文学を"ガチ"で勉強されていて、超美人な台湾人の先生に5年付きあっている彼氏がいることが発覚した後、ショックのあまり本格的な失恋の和歌(しかも超ハイクオリティ)まで詠んでいた先輩とか

 

前に彼氏と喧嘩して、なんかの試験中に彼氏のいいところ悪いところを机に書いて写メを撮って彼氏に送ったら、彼氏から「○○と○○の今後の課題点」みたいなタイトルの30ページあまりのパワポが送られてきて電話で「じゃあ○ページ開いてー」と講義が始まって

(普通ならここで「この人ちょっとやばいな」とかなりそうなのに)

「確かに…」と反省し、いつでも初心に帰れるようにとそのパワポを自分のパソコンのデスクトップに保存していた先輩とか……

 

 

「あと少しで1女(いちじょ)も終わるぞー」と常に揶揄われ、

夜市では「皆でカエル食べるぞ!」と、なぜか無理矢理カエルを食べさせられもしました(私は半泣き)。

でも、留学期間中に私に彼氏ができた(超謎エピソード)時は、なぜかある日、班の全員分のケーキを買ってきてくれて、更に「じゃあ彼氏もできたんだし亮亮から好きなの選びな」と言ってくれるなど、とても優しい先輩方でした。

 

残念ながら、お互いの学年がバラバラすぎたこともあり、研修が終わった後は全く集まることができなかったのですが、この先輩方には今でも本当に感謝しています。

 

 

あと、台湾といえば陽岱鋼(偏見)。

研修に行く前から

「台湾なら陽岱鋼が表紙の雑誌でも売ってるんじゃない?」

と期待していたら、大学近くの本屋で本当に発見!!!

…ですが、タイトルがなんと、

 

『嬰兒&母親』

 

これ、育児雑誌じゃん!!!

 

一瞬買うのを躊躇いましたが、でも今買わなかったら日本で買えないし、記念品として買おう!と意を決してレジへ。

 

そしたらレジのお兄さん、あからさまに目をまん丸くして、私の顔と雑誌を交互に見比べてて…

しかも私には超早口の中国語で対応してたのに、後ろに並んでた先輩には日本語対応。

 

どうやら私は、齢19(当時)にしてみごもった台湾人だと思われてたよう。。

 

恥ずかしすぎて、店員さんの顔まともに見れませんでした。

なかなかイケメンだったような気がするから残念。

今やいい思い出です。

 

 

さて、思い出を語っていたらとんでもない長さになりました。

まだまだ語れることはありますが、ここでやめておきます。

 

こんなに長い駄文をここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。